ヴィヨン・ヴィンブラッド

ヴィヨン・ヴィンブラッド

ヴィヨン・ヴィンブラッド(Bjørn Wiinblad)は、画家として、ポスターデザイナーとして、陶芸家として、そしてステージデザイナーとして、世界を舞台に活躍した国際的アーティストです。
コペンハーゲン・ヴィンブラッドレストランの陶板は、世界の一流品と称されています。

略年表

1918年
コペンハーゲン生まれ。
1943年
ドイツのロイヤルアカデミーオブアートで絵画・イラストレーションを学ぶ。その後ラーズ・サイベルグで陶磁器を使用し作品制作。
1946年
ニーモル・ファジャンスファブリックと提携、製品制作。
1952年
アトリエ設立。
1956年
ドイツ/ローゼンダール・ポーセリング社で様々な美術品、工業製造用の作品・陶器・銀製品・グラス等制作。
1974年
デンマークで名誉として与えられるマスター職人賞授与。
1977年
倉敷チボリ公園プロジェクト参加。
1997年
新宿高島屋・日本橋三越でヴィンブラッド展を開催。
2006年
死去(※通説による)

■著名作品■

  • ブルーハウスオリジナル陶板
  • アラビアンナイト絵皿
  • ベルサーチカップ&ソーサー

ヴィヨン・ヴィンブラッドの友人、ウルムシャーと常岡琢磨は言います。
「眠らずに起きている時間で計算すると、彼はすでに100歳を超えている。彼は人を驚かせたり喜ばせる為に時間等気にしない。“美の中の喜び”を見いだして彼は元気になる」と。
ヴィンブラッドの東洋的なスタイル・詩的な作風は、観る人に元気と感動を投げかけてくれます。

ヴィンブラッドは、デンマーク最高の名工陶芸家と言われ、マイセン、ローゼンダール、ロイヤルコペンハーゲン窯で数多くの名作を残しました。
特に、『チタニア』『アルルの女』『ユーモレスク』は三大名作と称され、それぞれ全ての顔の表情が異なります。
一品一品ハンドメイクされ、目や口元を独特の表現で制作されたものが多いです。
ヴィンブラッド全盛期の1996~1997年頃の作品は、ヴィンブラッド最高傑作であると言えるでしょう。

ヴィヨン・ヴィンブラッド回顧録

常岡北欧現代美術館 館長 常岡琢磨

出会いのエピソード

私とヴィヨン・ヴィンブラッド氏の思い出深い出会いは、1994年9月デンマーク、コペンハーゲン市中央にある百貨店『マガジン』の美術画廊“ヴィンブラッド展”の訪問だった。

当時の私はJETRO(日本貿易機構)に所属して、1997年7月に開園する国家的海外事業に参画し、アート・芸術部門の輸入にかかわっていた。

それは170年の歴史を誇るコペンハーゲンのチボリ公園を、岡山県倉敷市に誘致する為の大型テーマパーク推進運動の一環であった。

当時、民間企業から選抜された日比谷花壇・日比谷アメニス・広島化成・日鉄インターナショナル・大本組・アイザワ工業の6社で構成する『倉敷チボリ公園輸入促進委員会』に所属していたが、170年の伝統を誇るコペンハーゲンチボリ公園がテーマで、しかもデンマークと同様なテーマパーク創成が主提となる為、テーマパーク各館の内外も互換性が問われ難題の連続であった。

私がこの業務を引き受けた時、準備委員会は発足して2年が経過していたが、アート工芸部門は計画よりかなり遅れており、県・市・国が指定した北欧著名作家・画家とのコミュニケーションは全く取れていなかった程であった。

その時国側は、世界の画報やヨーロッパの著名アーティスト図書等で経歴を確認し、北欧を代表する現在活躍しているアーティストとして以下の面々をノミネートしていた。

アージー・グリース氏、ジョージ・ジェンセン氏、リーフ・ジェンセン氏、ヴィヨン・ヴィンブラッド氏、アリス・エリクセン氏、スス・アンデルセン氏、ジョン・デューク氏、アン・ランバー氏、リジー・ボーゼン氏、リン・ウッツン氏等であった。

倉敷チボリ公園プロジェクトは、準備に1994年~1998年の4年近くを要したが、記録によるとこの間私は10日~2週間滞在のデンマーク出張を49回経験している。

上記の巨匠達と何度も連絡を取り日本国側の意向を伝える窓口として、又期限内に倉敷チボリ公園開園に漕ぎ着ける様にと苦労したが、それらの経験が現在広島市で『TIVOLI GARDEN PLAZA』を開設して北欧現代美術作品を専門に取り扱う店の基礎を確立したことは間違いない。

私が出会う前のヴィンブラッド氏は、テキスタイル、舞台美術装芸、タペストリー、劇場サークル美術が得意な芸術家だったようで、ヴィンブラッド氏のアトリエやブルーハウスを訪ねた時に、100点以上のタペストリーやポスター等の数多くの作品を見る機会に恵まれた。

しかし私の知る限りでは、ヴィンブラッド氏が60歳代後半に体調を崩し、作業に体力や時間を要する舞台装置デザインから手を引き、陶芸創作活動やポスターデザインに移行したようである。

私が“陶芸作家ヴィンブラッド”に強烈な印象を覚えたのは1995年の冬、ヴィンブラッド氏の自宅アトリエ工房のブルーハウスを訪問した時である。

ブルーハウスは、正にヴィンブラッド陶芸工場であったし絵画デザインルームであった。
約600㎡はあろうかと思われる中二階の建物には、陶芸作品、タペストリー、油絵・水彩ポスター等、1,000点は優に超えると思われるほど作品が雑然と配置され、これがかの有名なヴィンブラッドのアトリエかと圧倒されたものである。

アトリエブルーハウスにてマースクライン、ニールス・ニールセン氏と

そこに友人のマースクライン、レーマンエージェンシー代表のニールス・ニールセン氏と2人で訪ねたのだが、最初面談時間は2時間と約束していたが、会話が弾み結局9時間近く滞在して、午後8時過ぎに帰宅の途に就いた。
時を忘れるとはこういう事か、と強烈な経験をしたことを今でもはっきりと記憶している。

この事が起点となり私とニールセン氏は、度々ブルーハウスのヴィンブラッド氏を訪ねる事となる。
この頃、倉敷チボリプロジェクトが佳境に入った時期でもあり、ヴィンブラッド氏の銅製噴水、ブルーハウス製の陶器噴水、アート陶板の3点をテーマ作品として打合せを行った記憶がある。

倉敷チボリプロジェクトブルーハウス製の陶器噴水アート陶板

ヴィンブラッドとスタジオハウス

コペンハーゲン中心部の繁華街に、ローゼンダールスタジオという2階建ての大型ショップがあった。
この建物は、ヴィンブラッド氏のショールーム的存在で、彼の陶芸品、タペストリーが50点以上販売されていたのだが、イギリス、ドイツ、スェーデン等の外国人に好評で、デンマークでも知名度の高い店舗であった。

ヴィンブラッド氏によると、彼は毎月この店舗を訪れ作品の入れ替えやディスプレーのデザインチェンジも行なっており、言わばヴィンブラッド氏のショーケースであり、新作発表の場でもあった様だ。

ローゼンダールスタジオローゼンダールスタジオ

ヴィンブラッドとコペンハーゲンシンフォニー

1996年12月、私は写文集『コペンハーゲンシンフォニー』を発刊した。
ヴィヨン・ヴィンブラッド、アージー・グリース、リン・ウッツン、ジョン・デューク、リーフ・ジェンセンの5人の北欧巨匠を取り上げ構成した写文集で、第1版7,000部、第2版10,000部の要請があり、当時地方の写文集としてはヒット作品であった。

その中で私はヴィンブラッド氏をトップに取り上げ、彼との強烈な出会いのイメージを書いた。
その時ヴィンブラッド氏は、一応賞賛はしてくれたが、「写文集を読んだが、私を取材するならばもう少し作品への感性や個々の作風についての客観論が不可欠だ」と酷評もされたのが忘れられない。

写文集『コペンハーゲンシンフォニー』表紙写文集『コペンハーゲンシンフォニー』裏表紙

ヴィンブラッド作品の博覧会展示

ヴィンブラッド氏から強烈な印象を受けた私は、文化省や地方自治体行政機関の主催する博覧会に数多く出展参加したが、一番印象に残っているのは1997年の倉敷チボリ公園博(岡山県)、2004年の静岡国際博(静岡県)、2010年平城遷都奈良博(奈良県)、2012年都市緑化東京花博である。

特筆すべきは倉敷チボリ公園開園博で、国のインフラ整備費用390億円をかけた巨大な国際テーマパークの開設で、ヴィンブラッド氏の作品は1,000万人を超える入場者の目に留まり、デンマーク芸術を世に知らしめる開園博となった。

倉敷チボリ公園倉敷チボリ公園倉敷チボリ公園

静岡国際園芸博(略称浜名湖花博)は、入場者670万人という地方博としてはかつてないほど多数の客が訪れ、展示したヴィンブラッド作品に魅了された各界の来場者のリピートが続いた。

静岡国際園芸博静岡国際園芸博静岡国際園芸博

奈良博は、平城遷都1300年祭と全国都市緑化博覧会が同時開催され、日本だけでなく世界中から観光客が奈良に押し寄せた。都市緑化博覧会会場は、古墳のすぐ横で開催され、古都の自然環境を考慮して、ヴィンブラッド陶板を使って切り絵の庭をイメージして展示デザインし、来場者の関心を集めた。

奈良花博奈良花博奈良花博

都市緑化博覧会TOKYO(東京花博)は、都心の日比谷公園で開催され900万人の入場があり、ヴィンブラッド氏の陶板やチタニア像は大人気を博した。
このヴィンブラッド展にはチボリガーデンプラザも出店し、“オールオブヴィンブラッド”をコンセプトに山田貴子がプロデューサーを務めた。

ヴィンブラッド大作から『チタニア』、フラワーベース他50種のアイテムを展示販売し、可愛いフリーカップの『ミニバード』にいたっては、期間中売れなかった日が無いほど来場者達を魅了した。

都市緑化博覧会TOKYO都市緑化博覧会TOKYO都市緑化博覧会TOKYO

ヴィンブラッド作品の百貨店美術催事

そごう、天満屋、山陽百貨店等で北欧展を開催したが、北欧の美術・芸術・物産に消費者の関心は高く、どちらの会場でも北欧の巨匠ヴィンブラッドの作品は来場者に好印象を与えた。

北欧展北欧展北欧展北欧展北欧展山田貴子店長

ヴィンブラッド最後のエピソード

2004年の夏、静岡県の浜名湖花博の会期中に、ヴィヨン・ヴィンブラッド氏とアージー・グリース氏とリン・ウッツン氏を日本に招き、博覧会会場のデンマーク庭園にてパーティーをしようとしたことがあった。私は準備で日本を離れられない為、彼らがデンマークやパリなどから香港に集合し、皆が揃って来日する事になっていたが、直前になってヴィンブラッド氏の体調が悪くなり帰国、キャンセルとなった。

私は、2002年の5月にコペンハーゲンでヴィンブラッド氏と会ったのが最後となってしまったが、いつだったか、スイスで闘病していた彼から「琢磨、会いたいからスイスまで会いに来い」と連絡をもらった事があった。

その頃博覧会や展示会で身動きできないほど多忙を極め、飛行機で片道10時間、最短でも2泊3日の時間を作ることが出来なかった。
あの時、無理をしてでも会いに行っておけば良かったと、未だに悔やまれる。


ヴィンブラッド氏の没年は諸説あるが、一般では2006年とされている。しかし確認した者はおらず、誰の発表かも不明のままだ。
心を許せる竹馬の友が居なかったヴィンブラッド氏は、多くの謎を残してこの世を去った。
長く交流があっても、ヴィンブラッド氏は謎多き人だった。その謎は未だに解明されていないし、証言する人もいない。
私が後に付けたヴィンブラッド氏のイニシャルは、“孤高の巨匠 ヴィンブラッド”である。

2018年3月 常岡琢磨(写真撮影:常岡琢磨)